ポテトサラダの歴史

ポテトサラダの歴史

私たちの生活に馴染みきっているポテトサラダ。見慣れた食べ物ですが、その歴史について考えたことはありますか?実はポテトサラダはロシアで考案されたサラダから発展し、日本で独自に発展してきたサラダなのです。

ここではそんなポテトサラダの歴史について見ていくのでぜひ読んでみてください。

目次

ポテトサラダのルーツはロシアのオリヴィエ・サラダ

オリヴィエサラダ

日本のポテトサラダの原型として最も有力なものが、ロシア料理のオリヴィエ・サラダです。

オリヴィエ・サラダは1860年代に開店したレストランのシェフであるリシュアン・オリヴィエによって編み出されたことから名付けられました。

当時のロシアでは新鮮な生野菜があまり流通しておらず、サラダそのものが浸透していなかったようですが、そのような中でもオリヴィエ・サラダはロシアの代表的なサラダとしてお祝いなどの際に食べられていました。

オリヴィエ・サラダはじゃがいもを潰さない

ポテトサラダと聞くと多くの方はじゃがいもを潰して食感をなめらかにしたものをイメージすると思います。

しかしオリヴィエ・サラダではじゃがいもを潰さず他の具材と共にさいの目切りにするため、日本のポテトサラダよりも歯応えのあるサラダになっています。

使われる具材は主にゆで卵やにんじん、ピクルスなどで、マヨネーズの他にサワークリームを使って和えられているのが特徴です。

イメージ図

オリヴィエ・サラダは日本で食べられているポテトサラダよりも具材がゴロゴロしているので食べていて楽しいサラダだといえます。

オリヴィエ・サラダの詳細は謎のまま

今でも愛されているオリヴィエ・サラダですが、オリヴィエ氏は自身が考案したオリジナルのレシピを誰にも伝えないまま生涯を終えました。

よって、完全オリジナルのオリヴィエ・サラダの再現は不可能となってしまったのです。

しかしそんなオリヴィエ・サラダも形を変えて日本のポテトサラダとして親しまれています。

日本でのポテトサラダの始まりは明治時代

ロシアでオリヴィエ・サラダが考案された頃、日本は幕末の動乱の最中にありポテトサラダなどは伝わっていませんでした。

では、日本でポテトサラダが広まったのはいつからなのでしょうか?

日本ではポテトサラダが普及するよりも前にじゃがいもだけが先に伝来していました。ポテトサラダというレシピが広く認識されるようになったのは明治時代に入ってからです。

まずはじゃがいもの伝来から見ていきましょう。

じゃがいもの伝来は江戸時代よりも前

ポテトサラダのメインであるじゃがいもは江戸時代の時点ですでに日本へと伝わっていました。もともとはオランダ人が長崎・出島での交易の際に日本へと持ち込んだのがきっかけのようです。

しかしじゃがいもの芽には毒があるため、伝来当初は観賞用としての役割を果たしていました。

じゃがいもが食用として本格的に栽培され始めたのは明治維新後、北海道が政府によって開拓されていく時期です。

北海道の気候や風土がじゃがいも栽培に適しているということで、食用じゃがいもが急速に日本の中で広がっていきました。

日本のポテトサラダは明治時代に作られていた

日本では明治29年発行の「西洋料理法」と、明治43年発行の「西洋料理教科書」に「ポテトのサラド」と言う題名でポテトサラダのレシピが記されています。

西洋料理法でのポテトサラダは

  • じゃがいもを煮て皮をむき薄くスライスする
  • レタスの葉を混ぜる
  • ドレッシングで和える

というもので、

西洋料理教科書でのポテトサラダは

  • 茹でたじゃがいもを冷ます
  • その上に薄くスライスした生の玉ねぎを乗せる
  • 芥子、塩、砂糖、酢、油を混ぜ合わせたドレッシングをかける

と記述されています。

この2つのレシピから分かる通り、当時はポテトサラダをドレッシングで和えて食べるのが主流だったようです。

日本でポテトサラダが普及し始めた明治時代は、高級ホテルのレストランなどで出される高級料理として認識されていました。

当時の料理人がオリヴィエ・サラダなどを参考にしつつ改良を重ねていき、大正時代以降にマヨネーズを使ったポテトサラダへと変化していったのです。

ポテトサラダは日本のマヨネーズ開発にも役立った

ポテトサラダとマヨネーズは今では切っても切れない存在ですが、日本でのマヨネーズ誕生にもポテトサラダが大きく関わっていたことはご存知でしたか?

なんと日本でのマヨネーズ開発のきっかけはポテトサラダだったのです。

どういうことか以下で詳しく説明しますね。

日本で最初のマヨネーズはポテトサラダから着想された

日本で最初に発売されたマヨネーズはキューピーマヨネーズでした。

今では知らない人はいないほど有名なこのマヨネーズは大正14年に中島董一郎氏によって開発されました。

キューピー株式会社の創始者である中島董一郎氏は、当時アメリカで食べたポテトサラダに使われていたマヨネーズから着想を得て日本でのマヨネーズ開発に踏み切ったそうです。

マヨネーズが発売され人々の間での認知度が高まるとともに、マヨネーズを使ったポテトサラダも広まっていきました。

このように、普段何気なく食べているポテトサラダにも多くの歴史や発展があったと思うと面白いですよね。

今ではいろいろなアレンジメニューが考案されていますが、明治時代の人々のようにドレッシングで和えて食べてみるのも良いのではないでしょうか。

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